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紅冷茶道、プールサイドにて
士官学校の屋内温水プール。午後の自由利用時間、蒸した空気と塩素の匂いがゆるく立ち込める空間に、水音がさざ波のように響いていた。 「……ふぅ」 富士見軍曹は一泳ぎ終え、プールの縁からスッと上がった。濡れた黒髪のボブが肌に張り付き、シンプルな競泳水着越しにしなやかな体のラインが浮かび上がる。 と、その時。 「軍曹殿、まさしく今が紅冷(こうれい)の刻であります!」 「……は?」 反応する間もなく、ブロント少尉が音もなく現れた。金髪ポニーテールが跳ね、昭和レトロ風のスクール水着の上にはレースの紅茶用エプロン。頭には軍階級章をあしらったクラシックな白黒メイドカチューシャ。まるで時代錯誤と任官義務が手を取り合って歩いてきたような出で立ちであった。 彼女は一瞬のうちに、ワゴンを展開。氷の入ったクーラー、熱湯入りのポット、紅茶葉の缶、銀のトングにティーグラス、全てが整然と並ぶ。 「体温が急激に下がった水泳後に、冷温交互刺激による精神統一を行うことで、戦闘意志と慈愛精神を共存させる――それが『紅冷茶道』であります!」 「また始まった……」 富士見軍曹が呆れる間もなく、監視員が異変に気付き駆け寄ろうとする。 「お嬢さん、ここは飲食禁止……」 「武装解除拒否! 冷却機動演舞を妨げる者は、撃退措置に移行します!!」 ブロント少尉、腰に差していた水鉄砲を抜き放つ。 パシュッ 水流が空を裂き、監視員の足元に着弾。予想外の威圧感に、監視員は思わずたじろぐ。 「……なにあれ」 「『冷戦茶番術』の実地演練中であります。ご静聴とご鑑賞を賜りたく――」 ブロント少尉はぴたりと踵を揃え、無意味に美しい所作で頭を下げる。次の瞬間、彼女はワゴンの前に跪き、鮮やかな手つきでティーグラスを取り、クーラーの氷を慎重に一粒ずつ入れていく。 「氷は、一つ一つが冷静なる魂……崩さず、焦らず……」 「(……それ、さっき水泳で冷えた私に出すの?)」 軍曹は、タオルを抱えたまま静かに着席させられ、抵抗する気力をなくしていた。 「――完成。紅冷、謹製ティー。軍曹殿の戦後処理に捧ぐ」 差し出された透明なグラスの中には、ほのかに紅が差した琥珀色の液体と、完璧なバランスで沈んだ氷の粒たち。茶の香りとともに、少尉の真剣な眼差しが揺れていた。 「……まあ、味だけは悪くないのよね」 富士見軍曹が一口含むと、その表情に、かすかに緩みが生まれた。 横では、ブロント少尉が再び跪きし、次の一杯を淹れ始めている。 全てが滑稽で、すべてが真面目。 この午後、プールサイドには不思議な静けさと紅茶の香りが漂っていた――。