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モーニングセット(モ兵式)
七時三十五分、まだ開けきらぬ朝の街角の喫茶店《焙煎館》。 木造のぬくもり漂う店内には、ほのかなコーヒーと焼きたてパンの香りが流れている。 その中央にて、ひときわ異質な存在感を放っていたのは、黒の詰襟軍服にミニのプリーツスカートを合わせた金髪の若き軍人――ブロント少尉である。 彼女の前には、皿から溢れんばかりに積まれたおにぎりが六つ。すべて梅干し入り。 さらに卵焼きが一切れ。そして湯気を立てるブラックコーヒー。 「……本日も、“モ兵セット”をご用意しました」 店主は、わずかに眉を上げつつプレートを置いた。 常連客の何人かが、時計の針をちらりと確認し、背筋を正す。 ブロント少尉は、静かに椅子から一度立ち上がり、前に進み出て、席の脇に片膝をつくようにして、両手を胸の前で重ねる。 ――儀式が始まる。 「――天つ神 国つ神 八百万の御前に申し上げ候。 朝の光と炊の香に包まれしこの刻、我、命を繋ぐ糧を賜りしこと、慎みて感謝奉る」 周囲の会話がぴたりと止んだ。カップの音も、咀嚼音も、なぜか消える。 「田の神に 稲の神に 海と山の恵みを贈られし百姓の技を賛え この一粒一粒に、民草の労苦と覚悟を偲び奉る」 目を閉じ、深く息を吸い込む。すでに店内は、完全に祝詞空間と化していた。 「六にぎりは六方を清める象なり。 東西南北・天地に守られしこの身をもって、今日の務めを全うせん」 それを聞いていた店員の一人が思わず手を合わせそうになり、隣の客に軽く肘をつつかれた。 「――いただきます」 一礼。そしてようやく、両手で慎重にひとつ目のおにぎりを持ち上げ、かぶりつく。 その動きまでが、まるで祭礼のように丁寧であった。 「……しょっぱい……しかし、これは“目覚めの塩”……」 店内がようやく動きを取り戻し始めた頃、入り口のベルが鳴る。 「少尉、また拝んでるでしょ……おはようございます、店長」 入ってきたのは、清潔感あるブレザー軍服にタイトスカート、小柄な体格に黒髪ボブの女性――富士見軍曹である。 書類バッグを片手に、すっとカウンター席に滑り込む。 「今日も西洋式、いけます?」 「いけますよ。トースト、目玉焼き、ベーコン、サラダにコーヒー」 「最高」 やがて彼女の席にも、香ばしいトーストと黄身がとろける目玉焼きが並べられる。 軍曹は自然な所作でナイフとフォークを取り、黄身を切る。そのとき、隣の少尉が満面の笑みで――おにぎり三つ目に突入していた。 「……軍曹、見てください。この積層はまさに山脈のごとし。形状にも意味が……」 「聞いてない。おいしい? はいよかったね」 「ありがたいことです。この味、まさに民草の誠。私は、噛みしめるごとに大地と繋がるのです」 「それは何より」 富士見軍曹はコーヒーをすすり、ちらと周囲を見回した。 皆、それぞれ新聞に戻ったりスマホを見たりしている――が、明らかに集中していない。 一人、二人と視線がまた、少尉の祈るような食事姿に吸い寄せられていく。 「……なんでこの喫茶店だけ、宗教空間になるんだろうね」 「信仰心ではありません。忠誠心です。」 「うん、知ってる」 富士見軍曹は苦笑して、またトーストをひとかじりした。
