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花屋の一稲(いっとう)
「――以上が、明治期における北海道開拓と屯田兵制度の詳細例である」 教官の声が教室に響く中、ブロント少尉は最前列の窓際で、真剣にノートをとっていた……ように見えた。 (……稲が育たなかった……食糧の確保が……気候的に……) ノートには図解された屯田兵の生活と、その傍らに描かれたヘタウマな稲のイラスト。そしてその下に大きく殴り書きされた文字。 「私は育てる。稲を。屯田の魂を。」 翌日、花屋に現れたのは、黒の詰襟軍服にミニスカートの金髪ポニーテールの少女、ブロント少尉だった。両手にはしっかりと持ち運び用のノートと資料。入って早々、店内をくまなく見渡す。 「稲は……稲はありますか……!」 スキンヘッドの大男の店長は、一瞬絶句したが、すぐに苦笑して言った。 「花屋に米は置いてないな……って思ったけど、あー、ちょっと待ちな。うちの奥の趣味棚にな……」 彼が連れていったその一角には、ガラスの水栽培ポットが数個並んでいた。その一つに、淡い緑の稲が根を張っていた。 「観賞用にな。水耕栽培。田んぼは無理でも、こういうのは面白くてな」 ブロント少尉の瞳が一気に輝いた。 「これです! これこそが“屯田的花屋的水田”です!」 店長は「なんだそれ」と呟きながらも、苗付きのポットをひとつブロント少尉に差し出す。 「特別だぜ。苗は趣味だから、花器代だけでいいよ。ちゃんと育ててやんな」 「はっ、必ずや稔らせて見せます!」 そう言ってポットを抱えた少尉は、すぐに「購入済」シールを貼ってもらい、大事そうに胸に抱えて店を後にした。 その夜、自室の窓辺。ブロント少尉は制服のまま、椅子にちょこんと座り、明かりの下でガラスの花器に浮かぶ稲の苗をじっと見つめていた。 「いいですね……この凛とした立ち姿……これぞ兵。いや、兵糧。まさに兵糧の兵(ひょう)。……ふふ、冗談ですよ」 ぴょこぴょこと根が伸びる様子に、小さく笑みを浮かべながらタオルで花器の縁をふきふき。 「水も温度も管理しますからね。富士見軍曹に負けない完璧な環境管理を……!」 そんな独り言が聞こえていたのか、扉の外で立ち止まっていた影が、そっと覗き込んできた。 「……少尉、何してるの?」 顔を出したのは富士見二等軍曹。黒髪のボブが夜の灯に映え、冷静な目がポットを見て柔らかく揺れる。 「……それ、稲? 水栽培の……あの花屋で?」 「はい! 店長のご好意で! この苗、私の戦友といっても過言では――」 「はいはい。……まあ、害はなさそうね。ふふっ」 富士見軍曹は小さく笑って、そっと部屋のドアを閉めた。 「お水、毎日替えるのよ。でないと根腐れするから」 「心得ております!」 そしてその晩―― 月明かりの下、ブロント少尉の部屋の窓辺では、小さなガラスの器に浮かぶ緑の稲が、静かに、そして確かに葉を伸ばしていた。 それは、少女軍人が夢見た“屯田的水田”の、第一歩だった。