1 / 4
梅雨前線警戒せよ
「……来る、来るぞ、軍曹。奴らが動き出す」 「はい?」 宿直室の薄明かりの中、テレビラックの前で仁王立ちするブロント少尉は、まるで戦場の空域を見据える指揮官のようだった。金髪のポニーテールがふるふると揺れ、黒詰襟の軍服の裾が誇らしげに靡く。画面には、関東上空にゆっくりと近づく梅雨前線が映し出されていた。 「見てください、軍曹。湿った空気が南から押し寄せ、冷たい空気と正面衝突……この濃密な境界線の動き。これはもう、局地的な“梅雨戦域”の到来です!」 「それは気象情報です、少尉。局地戦でもありません」 スチールデスクの前で、富士見軍曹は手にした湯呑の梅昆布茶をすすりながら、眉をひそめた。 「ふっ……軍曹はまだ知らないようですね。奴らの戦術は気配を偽ること。見かけは雨でも、内部には酸と塩分が潜んでいます」 「それは……普通の梅雨ではないでしょうか?」 「違います。これはジャパニーズ戦略食品“ウメ”の陰謀――!たぶん、陰謀の陰にはニンジャがいます!!」 「はいはい。では、明日からの戦備は梅干し中心にいたしましょう」 ブロント少尉の“天気予報偵察任務”は、それで満足したのか、やがてTシャツ姿になって布団に潜り込んだ。 その深夜―― 「うぅ……やつらが……上空から……!」 ブロント少尉は布団の中で呻きながら寝返りを打ち、眉をひそめていた。どうやらまた妄想の続きにうなされているようだ。 富士見軍曹はため息をつき、そっと彼女の枕元に膝をついた。和装の寝間着姿で、静かに掛け布団を直してやる。額には汗。寝言の端々に「梅」「爆撃」「塩分補給」といった単語が混じっていた。 「……少尉」 ブロント少尉は謎の悪夢にうなされていた。梅干しが空から降ってくるような、そんな騒々しくも間の抜けた夢の中にいたのだろう。 ――そこは荒野の梅林。空が真っ赤に染まり、梅の実が爆弾のように雨あられと降り注ぎ、時折梅干しが炸裂する。ヘルメット代わりに梅の葉をかぶったブロント少尉が、双眼鏡を構えて叫ぶ。 「軍曹!弾雨前線が接近!戦域は梅林!敵弾はすべて梅干し! この爆撃は梅林由来です!!」 「はあ……だから言いましたのに」 夢の中の富士見軍曹はなぜか忍者服姿で、梅の木の根元に胡坐をかいていた。 「……ふぁ……ん?」 しばらくして、ブロント少尉がうっすら目を開けた。ぼんやりと天井を見つめ、しばし夢と現実の境界を探している。 「軍曹……爆撃は……もう終わりましたか……?」 「はい。雨は静かに降っています。味も塩気もありません」 「それは……よかった……でも、少し……のどが……」 富士見軍曹は黙って立ち上がり、小さな梅ゼリーの皿を持ってきた。合わせて、ぬるめに淹れた梅昆布茶の湯呑もちゃぶ台に置く。 「梅ゼリーです。水分と塩分、甘味もあります。落ち着かれるかと」 「……ん、感謝します」 ふわふわした手つきでスプーンを取り、一口。口の中に広がる優しい甘さとほのかな酸味に、ブロント少尉は不思議そうな顔をした。 「……なんだか、妙に安心しますね、これ。さっきの夢が遠くに行ってしまうような……」 「ええ、梅には鎮魂と回復の力があると、祖母が言っておりました」 「ふむ……ジャパニーズ古代兵法、ニンジャの携帯食、恐るべし……」 ゼリーを食べ終え、昆布茶をすすり、ほっと息をつく少尉。わずかに頬が赤くなっているのは、夢のせいか、夜中の甘味のせいか。 「もう一度……寝直します。今度こそ、晴れ間の夢を見たいものです」 「おやすみなさいませ、少尉。次の戦域は、きっと平穏です」 布団に戻る少尉に、富士見軍曹は小さく一礼した。ちゃぶ台の上の湯呑から、ほのかに梅の香りが漂っていた。