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泥と曇天・母娘の頭
午後の野良塾は静かだった。 黒くどんよりとした雲の下、風が畝をなで、苗たちが優しく揺れている。トマトは順調に育っており、スナップエンドウも弦を伸ばし始めていた。 その静けさのなかで、富士見軍曹は鍬を持ったまま、軽く苛立っていた。 「……あの馬鹿少尉、どこ行ったのかしら」 先ほどまで、野良塾の中心にいたはずの金髪が、忽然と姿を消していた。 「“私用で出かけるから監督をお願い”って……。自分が種まいた区画、ぜんぶ間引き前じゃないの。投げっぱなしの農業って何よ……」 怒りとも呆れともつかぬモヤモヤを抱きながら、富士見は泣き出しそうな空を見上げた。 と、そのとき—— 「え?」 視界いっぱいに、金髪のドアップが迫ってきた。 「とぉっ!!」 ズザアアアアアアアァァァァ——!! 強烈な着地音とともに、ブロント少尉が田んぼに突っ込んだ。 「ちょ、ちょっとおおおおおお!?」 泥が跳ねた。派手に。盛大に。 田んぼに両脚を突っ込んだブロント少尉の勢いで、水飛沫と泥が横へ噴き飛ぶ。 ——その横に立っていた富士見軍曹、泥まみれになる。 特に顔。 青いジャージの上、かなりスタイリッシュ、と意外に可愛らしいデザインのショートパンツも無残に泥模様。 「……っっ!!!」 プルプルプル……プルプル…… 「…………」 富士見は一言も発せず、目を見開いて震えていた。 一方のブロント少尉は、田んぼにめり込んだ両脚を苦もなく引き抜くと、泥をぱたぱた払いながらケロリと笑った。 「間に合った! 畑の当番! てへっ!」 「てへっ、じゃねえぇぇぇぇぇ!!!!」 さすがの富士見も、つい叫んだ。 「何その登場!? どこから!? どうやって空から落ちてきたの!? なぜ田んぼに!? なんで私まで泥まみれなの!?!?」 「えーと……お母様が“呼びだして悪かったわね。送っていこうか?”って言って……。で、航空支援部隊が“ではLZ確保を”って……。そしたら上空から“いけっ”って押されて……」 「押されて!? どこで!? 何メートル上空よ!? ていうか“送っていく”の規模おかしくない!?」 「でも、田んぼって柔らかいんですね。ちゃんと受け止めてくれました!まだ田植え前で良かったです。 この足ごたえ、ちょっとクセになりそう」 「クセになるなぁぁぁ!!」 富士見は泥を振り払おうとしたが、全身ぐっしょりでどうしようもない。 ブロント少尉の泥だらけの笑顔が、雲の隙間から差し込む太陽の逆光でやけに眩しい。 その笑顔の奥に、一瞬だけ——ほんの一瞬だけ、あの、同じように空から跳ぶ女医である、”お母様”の面影がちらついた気がした。 (……この娘だけじゃない) (やっぱり、この母娘は、頭から修正しないとダメだ。) 泥が乾く前に、富士見軍曹の中で、確固たる決意が芽吹いた。 ——次こそは、“お母様”の頭から説得する作戦を立てよう、と。