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【ビニール傘】捨てられ子猫
●SIDE:橙臣恋織 「あ・・・」 大雨の降りしきる中、道端に置かれた蓋の開いた段ボール箱。中には一匹の白い子猫が青い目をこちらに向けて座っていた。箱の中は水がなみなみと溜まり、この猫に降り注いだ雨の激しさを物語っている。 「ごめんね、うちにはシラヌヒがいるから・・・」 これ以上ペットを飼う事は出来ない。私はせめて出来る事をと思って、子猫を一旦箱から出して、箱の中の水を抜いた。その後元通りに子猫を戻して、さしていたビニール傘を段ボール箱に置いた。これで少しは雨がしのげるはず。 「やば、もう服がびしょびしょになってきちゃった」 このままじゃ私の方が体調を崩してしまう。そうだ、この近くには玄葉さんの家があった。 「ちょっと雨宿りさせてもらおう」 私は早渚家へ走った。隣に異様に大きなお屋敷があるから霞んで見えるけど、あの家も二人で住むにはかなり大きいから結構目立つ。迷いなく辿り着くとポーチへ駆け込み、一息ついた。うーわ、もう下着までびっしょり。白のトップスは避けるべきだったかな。 「わぁ、橙臣ちゃん!?どうしたのそんなに濡れて!」 「げっ」 会いたくない方が出てきた。ていうか呼び鈴も鳴らしてないのに。咄嗟に胸を隠す。 「とりあえず入りなさい。風邪引いちゃうよ。お風呂沸いてるから入ってて、その間に玄葉の着替え持ってくるから」 早渚は早口に言うと、私の肩に手を回して家に連れ込む。こいつ女子の肩を抱くのに何で一切躊躇がないんだ。やっぱり不潔だ。 「覗かないでよ」 「さすがにしません。だって橙臣ちゃん、他の子と違って私に裸見られたら通報するでしょ」 誰でもするわ。・・・いや待て、他の子と違って!?なにこいつ、何人もの女の子の裸見てるの!?警戒レベル甘く見てたかもしれない。 その後、早渚の足音が遠のくのを確認してから服を脱いだ。タオルを巻いてから、そっと外の様子を窺う。遠くから声が聞こえてくる。 「玄葉、作業中ごめんね。ちょっと服と下着貸して」 「あ、うん。・・・はぁ!?ちょっと待て、そんなのどうする気!?」 「いや、そりゃ着るんだよ」 「ド変態!」 ナチュラルに誤解招いてやがる。まああの分じゃ玄葉さんに事情説明するだろうから、もう覗かれる心配はないか。私は浴室に入って、熱いシャワーを頭から浴びた。 ●SIDE:早渚凪 「良かった、サイズぴったりだね」 雨の中ずぶ濡れになった橙臣ちゃんを家の前で発見した私は、彼女にシャワーを浴びさせました。着替えとして用意した妹の服は丁度良いサイズ。年齢差、10歳もあるのになぁ。 「一応、お礼は言っておく・・・ありがと」 ずり落ちそうな肩口を気にしながら橙臣ちゃんはお礼を口にします。私は「どういたしまして」と返してから、どうしてこの雨の中傘もささずにいたのか聞いてみました。 「途中で捨て猫見つけて、自分のビニール傘はそこに置いてきたのよ」 橙臣ちゃんらしいと言えばらしいのかな。口調はトゲがあるけど、優しい女の子だからなぁ。 「早渚、アンタってペット飼うとか・・・無理か」 私に猫の世話をして欲しいのか。やはり、この大雨だから心配なんだろうな。 「うーん、出来なくはないよ。一応二人いるしね。とりあえず、見に行ってみようか。案内してくれる?」 私は橙臣ちゃんと一緒に家を出ました。さっきまでの雨は止んで、空も少し明るくなっています。詳しく話を聞くと、捨てられていたのは白い子猫だとか。子猫となると、さらに体力が無いだろうから余計に心配です。 「あ、あった。あれよ」 橙臣ちゃんが指差す先、確かにビニール傘がかかった段ボール箱があります。近づいて、覗き込んでみました。 「あれ?さっきまでいたのに」 橙臣ちゃんが不思議そうに首を傾げます。箱の中には、子猫の姿はありませんでした。 「・・・きっと優しい人が拾ってくれたんだね」 「そうなのかな・・・それならいいんだけど」 橙臣ちゃん、少し残念そうだ。元気になったその猫に会いたかったのかも知れない。けどそれはもう無理そうです。 「橙臣ちゃん」 「わっ」 私は橙臣ちゃんの肩と後頭部に手を回して、ぎゅっとハグしました。突然の事に橙臣ちゃんは面食らってます。私は彼女の頭を撫でてやりながら、優しい口調で声を掛けます。 「橙臣ちゃんの優しさは、きっとその子猫にも伝わったと思うよ。もう会えなくても、きっとずっと覚えてるさ。いい事をしたね」 「離してよ!」 顔を赤くした橙臣ちゃんが私を突き飛ばすようにして距離を取ります。 「やっぱりアンタ油断ならない!今日はもう帰る!」 「うん、服は玄葉に頼んで洗濯しておくから、その服を返しにきてくれた時に返すね」 橙臣ちゃんは走り去っていきました。・・・これで良かったんだ。気付かれずに済んだ。 「泣かせたくないからね、あんないい子を」 私は今一度、段ボール箱の中に視線を落とします。私は職業柄、観察眼には自信があります。透明のビニール傘越しで橙臣ちゃんにはよく見えなかったようですが、私の目ははっきりと捉えていました。箱の中に落ちている黒い羽、赤黒い小さな染み、箱の縁に残った爪痕。 じっと目を凝らすと、雨に濡れた路面に白く細い体毛が残っています。それを追いかけて細い道に入ると、数羽のカラスが『新鮮で柔らかい獣の肉』をついばんでいました。中身をほじくり出され、空っぽになった獣の眼窩が私を見たような気がしました。 「捨てた人と拾わなかった人、誰が悪かったかなんて議論する気もないけど。強いて言うなら、悪かったのは『運』だね。自然の世界は厳しいから」 雨の中、格好の獲物を見つけたカラスたちを責める権利は人間にはありません。 「ただ君は、最後に優しい人間に会えた分だけは同じ末路を辿った猫たちの中でもまだマシだったかもね。生まれ変わったら、今度は幸せに生きられる事を祈ってるよ」 赤黒い骸となった白い子猫に手を合わせ、私は踵を返しました。カラスが一声甲高く鳴き、雨上がりの空にその声が溶けていくのでした。