春風と突発事態

春風が優しく吹き抜け、桜の花びらが士官学校の訓練場を舞っていた。 その朝、特別共同訓練の一環として、士官候補生と曹候補生が合同で整列していた。 朝礼台には、黒の軍服に身を包んだ一人の少尉が立っている。 金髪のポニーテールが春風に揺れ、ミニのプリーツスカートがひらつくその姿は、威厳と危うさが同居していた。 「えー、諸君。今日の訓練は、状況対応行動――いわゆる突発事態への初動対応を想定したものです。 何が起こっても冷静に判断し、的確な行動を取ること。……これは机上では学べません。現場でこそ意味を持ちます」 ブロント少尉は訓示を終え、列の前方に目をやる。 候補生たちは整然と並んでいる。……ただ一人を除いて。 曹候補生――福井君。 体形は相変わらず鈍重な印象だが、数日間の共同訓練で少しだけシャープになっていた。 汗をかく量が減り、動きにも迷いが減ってきたように見える。 その彼が、少尉の真っ正面で凛として直立不動、敬礼の姿勢で目を逸らさずにいる。 その瞬間、突風――春風にしては少し強い風が吹いた。 ぱあん、と音を立てるようにブロント少尉のスカートが舞い上がる。 候補生たちの中で、訓練された者たちはすぐに“回れ右”を決行。 場を乱さず、正面を外して突発事態をやり過ごそうとした。 が、一人だけ、正面を見つめたまま微動だにしない男がいた。 福井君だ。 眼光鋭く、敬礼を解かず、まっすぐに“現実”と向き合っていた。 「……ふ、ふふ……ふふふふふ……」 朝礼台の上でブロント少尉の顔が一気に真っ赤になる。 「突発事態に遭っても、視線を逸らさず任務に忠実とは……貴様、なかなかやるじゃない……」 その言葉の直後だった。 「――でも、そういうのは、こっちの心構えが整ってからにしてもらえるかしら！」 ブロント少尉は台の上から、跳躍一閃――飛び蹴りを繰り出した。 その華麗な一撃は、敬礼姿勢のまま動かない福井君の顔面を直撃。 だが彼は、なおも右手を額に、鋼の意志を宿したまま崩れ落ちた。 鼻血を出しながら倒れ伏す福井君。 そして、地に降りたブロント少尉は、スカートの裾を整えながらつぶやく。 「……まったく、またつまらないものを蹴ってしまった……」 少しだけ、目が潤んでいる。 どこか照れているようにも見えるが、それは誰にもわからない。 「――少尉、またですか。朝礼台からの飛び蹴りは今回で三度目です」 富士見軍曹は、冷静な口調ながらも、メモ帳をパタンと閉じて少尉を睨む。 黒髪のショートカット、無駄のない制服姿、そして訓練教官としての鉄の規律。 彼女が“ブロント少尉のお目付け役”として配属されているのには、それなりの理由がある。 ブロント少尉は、手を後ろに組んで立っていたが、じわじわと冷や汗が流れていた。 「で、ですが今回は突発事態で……候補生の反応を確認するための……教育的措置でして……」 「そうですか。つまり、突発事態に対する模範行動として、飛び蹴りを？」 「……、そ、それは突発事態に対する心構えを体現――っ！？」 ――バシィィィィッ！！！ 乾いた音とともに、富士見軍曹の見事なミドルキックが炸裂した。 狙いは完璧、角度も速度も申し分なし。ブロント少尉のミニスカートをめくり上げながら、お尻に華麗な一撃を叩き込んだ。 「きゃっ……！？ な、なにすんですか軍曹ぉっ！」 スカートを押さえながら、その場に小さくしゃがみ込むブロント少尉。 頬を真っ赤に染め、涙目で抗議するも、軍曹の表情はまるで変わらない。 「今度跳び蹴りしたら、ミニスカ、禁止にしますよ？」 「わ、わかりました！ もう跳び蹴りしません、しますまい、誓いますから……！」 少尉は小動物のようにぷるぷる震えながら、スカートを直していた。 富士見軍曹は、それを見届けてから静かに部屋を出ていった。 （……でも、あの福井君って子、案外根性あるのよね。体型に似合わず） ブロント少尉は頬を指でつつきながら、ふと窓の外に舞う桜を見上げた。 風に揺れる花びらの中、また一つ、士官学校に伝説が刻まれたのであった。