揺れる午後と届かないメッセージ
スマホの画面をじっと見つめながら、私はまた深いため息をついた。 メッセージアプリの通知欄は、いつものように静まり返っている。 青白い光が私の指先を照らしているだけで、何かが変わる気配はない。 淡いピンクの髪が肩に触れるたび、少しだけくすぐったい気持ちになるけど、それがなんだっていうの。 鏡で見た自分は、なんだか知らない誰かみたいだった。 少し寝癖が残る短めのボブヘア。緑色のオーバーサイズTシャツは、肩が落ちてだらしなく見えるけど、どうでもいい。 誰に見せるわけでもないのに、服を選ぶなんて面倒すぎる。 膝に両肘をつき、ほっぺを両手でぎゅっと押しつぶしている姿は、まるで子どもみたいだ。 でも私は子どもじゃない。 30歳になって、仕事も恋愛も順調なんて全然言えないけど、ちゃんと大人なんだから。 だって、そうだろう? 画面に浮かび上がる名前は「山崎 誠」。 彼が最後に送ってきたメッセージは、いつだっただろう。 「お疲れさま。また今度飲みに行こう」 短い文字の羅列が、これ以上も以下もなく冷たく私を見下ろしているように感じられる。 「飲みに行こう」って言ったくせに、あれから連絡が来ないなんて、どういうこと? もしかして私、何かした? 考えれば考えるほど、頭がぐちゃぐちゃになる。 そんな思考を振り払うように、私は机に頬を押しつけた。 少し冷たい木の感触が心地よい。 机の上には読みかけの小説と、飲みかけの紅茶。 本のしおりには「夢」と書かれた手書きの文字が記されている。 最近は妙なことばかり起きている気がする。 電車で誰かに見られているような気配。 郵便ポストに届いた封筒の中身は白紙の紙だけだったこと。 そして今朝、ドアノブにかけられていた真新しい赤いリボン。 意味なんてあるはずないよね? でも、胸の奥がざわざわして仕方がない。 そういえば、昨夜夢を見た。 白い壁の部屋で、私が何かを叫んでいる夢だ。 内容はよく覚えていないけど、声が枯れるくらい必死だった。 起きたとき、汗びっしょりだったからきっと悪い夢だったに違いない。 だけど、その夢の中で私は確かに見たんだ。 知らない番号からのメッセージの通知。 「気をつけて」という、たった一言だけ。 なんて馬鹿げた話だろう。 夢だと分かっているのに、あれが現実だったら何かが変わっていたのかもしれない。 午後の空気はどこか湿っぽく、重い。 外に出ると、小さな公園のベンチに腰掛けて、ぼんやり空を見上げた。 灰色の雲がゆっくりと流れていく。 その下を行き交う人々は誰も気に留める様子がない。 スマホを取り出して、また「山崎 誠」の名前を見つめる。 指先が震えるけど、送る言葉が見つからない。 彼に今、何を言えばいいんだろう。 「誰かに話したら楽になるのかな……」 そうつぶやいた瞬間、背後からカサッと落ち葉を踏む音がした。 振り返ると、そこには一人の男が立っていた。 「……赤いリボン、気づいてくれた?」 男の声は低く、静かだった。 心臓が一気に冷たくなる感覚が走る。 リボンのことを知っている――? 「すみません、何か……」 声を絞り出すように言おうとしたけど、喉が詰まってうまく言葉にならない。 男はじっとこちらを見つめたまま、何も言わずに歩き去っていった。 その後ろ姿が角を曲がるまで、私はその場に立ち尽くしていた。 スマホが震える音で、ようやく我に返った。 画面には新しい通知が表示されていた。 「まだ、逃げられるうちに」 それが何を意味するのか、私はまだ分からない。 でも、これだけは言える。 ――日常が壊れ始める音は、いつも小さいんだ。 そして私は、次の一歩をどこに踏み出すか、まだ迷っている。