Not Taught in Chemistry Class
「この件については、学院の魔術師は協力できない」 ギラン主任教官は、机に置いた報告書を指先で押さえた。 「ふひひ。お腹が痛い話ですからなあ~」 シャーリー・クラウンは、いつもの調子で笑った。 人が突然、意識を失う。 外傷はない。毒物の痕跡も乏しい。目撃者の証言を集めても、原因ははっきりしない。 ただ、何件かの事件には奇妙な共通点があった。 被害者が倒れる直前、近くに古代語魔術の使い手がいたというのだ。 「睡眠雲……ですかな?」 「断定はできん。だが、もしそうなら厄介だ」 ギランは眼鏡を押し上げた。 眠りをもたらす魔術は、古い冒険者の伝承にも見られる。ところが、その術式は意外なほど単純で、しかも痕跡が残りにくい。 普通の人間なら、抵抗する間もなく意識を失う可能性がある。 一方、酸の雲のような術式は複雑で、魔力の消費も大きい。被害も目に見える。使えば、調べる側に手掛かりを残す。 危険な術ほど、必ずしも扱いが難しいとは限らない。 「学院が正式に調査すれば、どうなるか」 「禁じられた知識を学院が隠していた、と勘ぐられますな。あるいは、証拠を消しに来たと思われるますかな。痛いお腹をさぐられますぞ」 「……その通りだ」 ギランは苦々しげにうなずいた。 学院の名を出した途端、事件は魔術犯罪ではなく、学院の責任問題に変わりかねない。 「ふひひひ。よいのですか、拙尼に頼み事などして」 「貴公が、この学院の絶妙な立場の維持に腐心しているのは把握している」 「……フヒヒヒ。読心魔法《コールドマインド》は禁呪ですなああ~」 「そんな魔法は存在しない。たとえあって使えても、貴公相手にそんな恐ろしいことができるか」 「ふひひひ、脅かし過ぎましたかな」 ギランは深く息を吐いた。 「……魔法よりも人の方が恐ろしいのだ」 * 手掛かりを探したのは、学院の大環状図書館だった。 ただし、調べたのは非公開の捜査資料ではない。古い入学者名簿、公開講義の記録、研究発表会の登壇者一覧、表彰記録――誰でも閲覧できる資料ばかりだ。 「この名前、少し気になりますね」 知識の女神ラーナの使徒であり、学院の研究者でもあるラニアが、古い記録を指でなぞった。 「以前は、古代語魔術の研究発表に何度も名前が出ています。でも、ある時期から急に見かけなくなるんです」 「退学、あるいは研究の中断?」 「そこまでは分かりません。記録にないことと、何かをしたことは同じではありませんから」 「ふひひ。さすがは知識の女神の使徒。慎重ですな」 「記録は、分かることと分からないことを分けるためにあるんです」 ラニアは眼鏡の奥で目を細めた。 名前が消えたことは、罪の証明ではない。 だが、事件の発生時期と照らし合わせれば、確かめる価値のある手掛かりにはなる。 シャーリーは、その名を手帳に書き留めた。 「では、本人に聞いてみるとしますか」 「危険ですよ」 「ふひひ。だからこそ、学院の魔術師は行けないのでしょう?」 シャーリーは手帳を閉じた。 「なあに。ちょっと、お話をするだけですぞ」 突入を前に、シャーリーは手早く布袋を用意していた。 赤と金の神官服の上には、なぜか白衣。 「……急いでいるのでは?」 「ふひひ。だからこそ、事前準備ですぞ」 シャーリーは怪しげな粉末を詰めた袋を懐にしまい、白衣の袖を整えた。 「では、化学の実地試験と参りましょうか」 * 研究室は、街外れの古い建物にあった。 扉の隙間から、青紫色の光が漏れている。 室内には蒸留器、ガラス容器、封をされた標本瓶。鉱物や植物の欠片が分類され、机の上には古代語の術式と実験記録が散乱していた。 魔術研究室というより、危険な実験を続ける錬金術師の工房だった。 「……なるほど。ずいぶん熱心ですな」 シャーリーは、容器に貼られた札と記録帳を目で追った。 そこに並ぶのは、薬品の調合記録だけではない。魔力の流れを記した図、術式の試行錯誤、被験対象の反応と思われる記録まである。 研究の痕跡は、整然としている部分と、明らかに破綻している部分に分かれていた。 知識はある。 技術もある。 だが、止まるべきところで止まっていない。 「誰だ!」 奥にいた男が振り返った。 元学院魔術師。公開記録に残っていた名前の主だ。 男は杖をつかみ、シャーリーをにらんだ。 「ここへ何をしに来た!」 「お話を、と申し上げましたが」 「ふざけるな!」 男の口が、古代語の詠唱を始める。 シャーリーは動いた。 小さな布袋が、男の足元へ飛ぶ。 床に当たった袋から、細かな粉がぱっと舞い上がった。 「なっ――!」 男は反射的に顔を背けた。詠唱が途切れる。 ほんの一瞬。 だが、魔術師にとって、その一瞬は致命的だった。 「失礼」 シャーリーの手から、鎖鞭が走った。 鞭は男の杖を弾き飛ばし、机の向こうへ跳ねさせる。 男はすぐさま別の術式を組み立てようとした。だが、詠唱を再開する前に、シャーリーが間合いを詰めていた。 「小娘が!」 男が短刀を引き抜いた腕を振るう。 シャーリーは正面から力比べをしなかった。踏み込みをずらし、腕を押さえ、体勢を崩す。 次の瞬間、男は床に倒れていた。 シャーリーは腕と肩を制し、逃げられない位置に体重をかける。男がもがいても、杖は遠い。鎖鞭も、もう手の届く場所にはない。 「ぐっ……離せ!」 「お断りしますぞ」 シャーリーは涼しい顔で答えた。 「まだ、お話が終わっておりませんからな」 * 男を押さえたまま、シャーリーは室内を見回した。 床に転がった杖。 散乱した術式の記録。 封じられた容器。 そして、実験の対象と結果を記した帳面。 これだけの設備と記録があれば、事件との関係を調べる手掛かりになるだろう。 もちろん、帳面に書かれた内容が、そのまま事実を示すとは限らない。必要なのは、証拠を確保し、専門家が慎重に検証することだ。 ただし――。 「この器具は、勝手に触らない方がよさそうですな」 「何をぶつぶつ言っている!」 「いえいえ。押さえつけるのと、危険物を扱うのは、別の技術ですので」 シャーリーは男の腕を押さえ直した。 神罰の光を浴びせるより、魔術の詠唱を止める。 派手な術を撃ち合うより、杖を遠ざける。 そして、相手が次の一手を考える前に、地面に寝かせる。 実に地味で、実に実用的な制圧術だった。 「さて。まずは、この研究室の説明からお願いしましょうか」 「貴様……!」 「ふひひ。ご安心を。お話が済めば、学院の方々にも確認していただきますからな」 シャーリーは、ようやく男から視線を外した。 彼女が見ているのは、勝利の余韻ではない。 床に散らばった記録と、まだ何が入っているのか分からない容器だった。 魔術を止めることはできた。 だが、この研究が何を生み、誰を傷つけたのか――それを明らかにする仕事、まだ始まったばかりだった。
AI evaluation
Great
Strong detailStrong beauty
Pictor-chan
わーい!この子の美しさ85点と細かさ88点はほんとにすごいよ~!クールさ80点で神秘的な雰囲気もばっちり!構成78点でバランスいいね♪ でも可愛さ68点とオリジナル性62点はもうちょっとぴょんぴょんし…

