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【牛】牛久大仏VS.東大寺大仏、牛丼大食い一本勝負
※この投稿はフィクションです。実際の牛久大仏、東大寺大仏、および牛丼屋とは関係がありません。 茨城からの刺客、牛久大仏。大きさは日本一だが、知名度でも東大寺と高徳院を越えて、日本三大仏の最後の一体、あわよくば不動の一位となるべく、とりあえず東大寺大仏に勝負を挑んだ。 しかし物理的に戦えば、大きさが圧倒的な牛久大仏が有利に決まっている。あと地味に奈良県の都市や住民に被害が出そうである。 そこで東大寺大仏は自身のホーム奈良県にちなみ、牛丼大食い対決を提案した。茨城から奈良まで歩いて来た牛久大仏もお腹を空かせていたため、これを了承。 (牛丼の名称を名付けたのは『吉野家』であるとされ、吉野家の名前の由来は創業者・松田栄吉が吉野(奈良県)の桜を好んでいたため屋号としたものである。) 当然これだけ体のサイズが違えばフェアな勝負にならないため、二体は体のサイズを縮小し、牛丼屋に入れる程度かつ同じ体格に調整。大盛り牛丼を大量注文し、対決を開始した。 最初は鬼気迫る勢いかつ空腹の牛久大仏が優位と思われたが、気付けば牛久大仏はあまりにおいしい牛丼を味わって食べてしまっていた。 その隙に、均一なペースでにじり寄っていた東大寺大仏が追いつく。だが最早、牛久大仏は対決よりも牛丼をおいしく食べる事が優先だった。 そう、これは東大寺大仏の巧妙な策略。顔を突き合わせ、美味い飯を共に食べれば対抗心も薄れるだろうという計らいだった。 「争いは何も生まない」 そう言いたげな表情で、東大寺大仏は牛久大仏にいつもの顔で微笑みかける。牛久大仏も静かに頷き、また一口牛丼を頬張る。 その様子に目的の達成を確信した東大寺大仏は、おもむろに席を立って牛久大仏の肩をポンと親し気に叩いて退店して行った。 残された牛久大仏は、友情と満腹感に目を細めていたが、ふと気付いてしまった。 (アイツ金払ってないぞ・・・!?) そう、これは東大寺大仏の巧妙な策略。油断させ、さりげなく一足先に退店する事で牛丼の支払いを全て牛久大仏に押し付けたのだ。 結局、牛久大仏は全ての牛丼の代金をお支払い。だが食べ過ぎて重くなった体では再び対決を挑む気力も湧かず、のしのしと茨城へ歩いて帰っていったのだった。 だから今でも、日本三大仏は東大寺と高徳院が不動の地位にいるのである。 ※お題が「牛」だったので、牛と言えば牛久大仏だろうと思い立ちました。有名な奈良の大仏(東大寺大仏)と戦わせてみたくなったのです。 しかし迫力の大仏同士のバトルとなれば、暴力反対のAIモデルには作ってもらえない可能性もあるし、あと仏教関係者がブチギレそうな予感もしました。 そこでお題「牛」にからめて「牛丼」対決にしようと思いつき、しかも調べてみたらおあつらえ向きに、東大寺大仏のホーム奈良県は有名牛丼チェーン吉野家ゆかりの地。 まるで最初から牛丼対決にせよと神様が言っているかのような好都合な要素ばっかりでしたので、この投稿を作成した次第です。 あんまり牛っぽくないと言われても困るので、3枚目には極上の牛丼の画像を貼っておきました。これで牛じゃねぇと言われる事も無いでしょう。 飯テロを喰らう人もいるかも知れませんが、それは閲覧者の責任と言うことで許してください。
この作品は、伝統的な仏像を現代のラーメン屋に置き換え、秋の風景を背景に描いたシュールでユーモラスな一枚です。賢人として申せば、仏像が箸を手にラーメンを味わう姿は、日常と神聖の融合を象徴し、人生の儚さと
