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偽りの結婚式と戦の始まり
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――静かな森の奥、古びた神殿に花の香が満ちていた。 苔むした石畳の上には、即席の赤い絨毯。周囲には色とりどりの花が咲き、村人や冒険者たちが列席する中、即席の神官(口ひげの貧相で弱そうな中年)が祝福の言葉を読み上げていた。 今日は“エルフの姫君”と、“冒険者の若きエルフの貴族”との婚礼の儀――そのはずだった。 花嫁の正体は、美食の女神に仕えるドワーフの神官戦士チェルキー。 彼女は普段、緑の髪をポニーテールにまとめ、鎧と巨大なグレイブを手に旅をする冒険者。 今日は、分厚い皮鎧の上からドレスを着込み、その小柄ながら筋肉質で生命力に満ちた体躯を“可憐な姫君”らしく見せていた。 隣に立つ花婿役の青年は、エルフの冒険者アリオン。精悍な顔立ちに軽装の礼服。 演技慣れしていないせいか、汗ばむ額を気にしながらも、凛とした立ち姿を見せていた。 その式場を囲む人々は、村の人間に扮した冒険者たち。 その中には、クマ耳のついた白い毛皮のドレスをまとった銀髪の獣人美少女プーにゃんの姿もある。 彼女はいつも通りに「クマ……おやつまだかな……」と呟きつつも、視線は森の影に潜む何かを警戒していた。 式が進む中、風がざわめいた。 その瞬間、神殿の天井が砕け、漆黒の魔法陣が上空に浮かび上がる。魔族たちが空から降下し、神殿を襲撃してきた。 「きたか……ッ!」 チェルキーが小さく呟いた。 彼女は躊躇なくドレスの裾を引き裂き、勢いよく脱ぎ捨てる。 中から現れたのは、装飾と機能を両立した精巧な部分鎧。 プレートの一部が彼女の胸元と肩を守り、鍛えられた腹部と太腿には革製の防具が締められていた。 「プーにゃん、頼む!」 「まかせるクマァ!」 プーにゃんが手元のカバーを外すと、中から黒鉄のグレイブが放り投げられる。チェルキーはそれを軽々と受け取り、地面に突き刺すように構える。 「来たな、野暮な邪魔者ども。美食神の名にかけて、あんたたちには味見もさせないよ――!」 観客席の冒険者たちが一斉に立ち上がる。腰に帯びていた剣、杖、ボウガンが音を立てる。 村人に扮していた者たちも、次々と戦士へと変貌していく。 エルフの姫君を魔族が狙ってくるのは解っていた。 式場だった神殿は一瞬で戦場へ。 プーにゃんは「こっちクマ!あっちは包囲されてるクマ!」と叫びながら、魔族の投擲武器を素手で弾き飛ばし、身軽に飛び回っていた。 チェルキーのグレイブが、襲い来る魔族の一体を一撃で吹き飛ばす。その姿はまさに、姫君の皮をかぶった猛獣。 「……やっぱり、こうなるよね」 アリオンが苦笑しつつも、剣を抜いてチェルキーの背に並び立つ。 「なら、最後まで演じきろうか。偽りの花婿と、偽りの姫君が、真実の力を見せるまで――!」 戦の火蓋は切って落とされた。 森の神殿に、鐘の音ではなく、剣戟と咆哮、そして戦う者たちの誇りが鳴り響いた。