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白無垢、戦(いくさ)の覚悟について
休日の午後、補給任務の帰り道に立ち寄った商業ビル。 ブロント少尉は、何気なく入った催事場で、思わず足を止めていた。 「これは……花嫁衣装、というものですか……」 ショーウィンドウに飾られた純白のウェディングドレスは、戦地に出る(心意気)少尉の目には、まるで“戦場で最後まで気高く咲く花”のように映った。 「とても……立派ですね……でも、こういう装備は日常戦闘には向かないかもしれません」 ため息ともつかぬ声を漏らしつつ、彼女は受付に置かれた無料の冊子を手に取る。 「この資料……女性としての戦備を見直すには、ちょうどいいかもしれません」 その雑誌は、彼女の中に“新たな戦闘教範”の可能性を芽生えさせてしまったのだった。 その場にいた関係者に話しかけられ、パンフレットや情報誌ももらう。 しかし、少尉はふとある疑問を抱く。 「ところで、日本ではこういうドレスの代わりに“白無垢”という伝統的な装束があると聞いたけど……どういうものなんでしょう?」 帰り道、少尉は何となくコンビニで分厚いブライダル情報誌『ゼ◯シィ』を手に取る。 ページをめくると、そこにあったのは――「白無垢と懐剣、伝統作法特集」。 ベンチに座り、白無垢を見つめるブロント少尉の目に光が宿る。 「……これは……これは、戦装束だ……」 ページには、「懐剣は花嫁の護身用、また決意の象徴」などと書かれていた。 それを読んだ少尉の脳裏には、炎に包まれる落城の城内、白無垢の姫が懐剣を抜く幻影が浮かんでいた―― 【妄想】 燃えさかる本丸。姫は金髪を結い上げ、白無垢をまとい、火の粉を背に静かに歩く。 守るべきものを失い、覚悟を胸に懐剣を抜く。 ――火に包まれる夜の城。 朱塗りの柱が崩れ、瓦が落ちる音が響く中、白無垢に身を包んだ姫君が、一人静かに広間を歩いていく。 「……皆、討たれましたか……ならば、この身も……」 火の粉が舞う縁側に、膝を折る姫。懐から静かに抜いたるは、銀に輝く懐剣。 「せめてもの忠義に、我が血で、御家の誇りを守りましょう……」 袖をたくし、ゆっくりと刀を構える。そこに、駆けつける家臣たちの叫び声。 「姫君、おやめくださいっ!」 だが、姫は首を振り、微笑む。 「この身はもとより、家の礎と散るのみ……婚礼の白無垢は、潔き死装束…… 女に生まれようと、命は己の意志で燃やすのです……!」 炎に照らされて、白無垢は淡く紅く染まり、静かに―― しかしその姫の顔は、まるで――ブロント少尉に瓜二つであった。 「……はっ」 我に返ったブロント少尉は、ブライダル雑誌をぎゅっと胸に抱きしめる。 「……これが、女としての……最後の矜持……! 華やかでありながら、戦(いくさ)に殉ずる覚悟……!」 彼女の瞳に、凛とした決意の炎が灯る。 「一人前の女性とは、いついかなる時も命を賭して家を守る覚悟を持つべし。 すなわち切腹作法の修練は、乙女として当然のたしなみ……!」 その場で感銘のあまり感涙し、周囲の通行人がそっと距離を取ったことには気づかないブロント少尉だった。 数日後、桜がとっくに葉桜になった基地裏の小道。 そこには、なぜかサクランボをたわわに実らせた一本の木があった。 その下、一畳だけの柔道用畳が敷かれ、正座するブロント少尉の姿がある。 柔道着に合気道の白袴、そしてなぜか給食用の三角巾を頭に巻き、目は真剣そのもの。 畳の上には個人用フットロッカー。 その上に置かれた封筒には、手書きの墨文字で《辞世》とだけある。 「命とは……国家への捧げ物……」 右手に恭しく銃剣(ゴム刃)を持ち、左手でその切っ先を摘まむ――が、先端はふにゃりと曲がって戻る。 「……懐剣の抜き方、座礼の所作、そして斜め一文字の腹部刺突……どれも未熟だ。まだまだ……“女”としては未完成ということか……」 そこへ、富士見二等軍曹が現れる。 「……少尉、なにしてるんですか」 その瞬間、背後から一直線に伸びた富士見軍曹の手刀が、ブロント少尉の後頭部に炸裂した。 「ぐえっ」 倒れ込む少尉。畳が軽くきしみ、サクランボが一粒落ちる。 「くっ訓練です。これはその……自己鍛錬の一環でして…… 白装束の着こなしと、切腹の所作を身につけておこうと思いまして… 女として一人前になるには、切腹の作法も嗜んでおかねばなりますまい」 富士見軍曹は、しばらく沈黙した後、深く息を吐いた。 「……少尉、白無垢っていうのはですね、“死装束”に似てるのは事実ですけど、それは“生まれ変わって新しい家に嫁ぐ”って意味なんですよ」 「……ふむ。死して、再び生まれる……?」 「はい。それと、懐剣は“覚悟”の象徴ですけど、物騒な使い方をするもんじゃないです。 自害のためじゃなくて、護身や“何があっても帰らない”という気持ちを象徴するために持つんです」 「……では、切腹は?」 「切腹は違います。ただの歴史上の武士の自裁行為です。 女性がするもんじゃありませんし、まして現代日本では絶対に推奨されません」 「…………えっ」 「なんで“女性としての教養”に切腹が入ってくるんですか。どこの文化圏ですかそれ」 「……ワタシ、またやってしまいましたか……?」 「はい。相当な勢いでやらかしてます。けど、少尉が真剣なのは知ってますから……今回は、やや強めに訂正しておきます」 富士見軍曹は小さく息をついて、落ちたサクランボの一粒を拾い、口に入れた。 「でも……少尉がそうやって真面目に考えてるの、嫌いじゃないです。 ただ、せめて人前ではやめといてください。マジで上に報告入れられますから」 「了解しました……次は山奥でやります……」 「いや、やらなくていいですって」 静かな風が吹く中、サクランボの木は揺れ、ふたりの笑い声が少しだけ混ざった。 富士見軍曹は苦笑いをしつつも、たまには伝統文化について少尉と語り合うのも悪くないな、と思っていた。