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エルフ戦士エグリネルと目玉焼きの奇跡
「お嬢様、朝食でございます。今朝もお好きな目玉焼きですぞ」 エグリネルはふわりと長い耳を揺らして椅子から飛び上がらんばかりの勢いで声をあげた。 「やったー!」 召使いが運んできた皿には極上の黄身がまぶしそうに光る見事な目玉焼きが鎮座している。透き通る半熟のまわりに塩と香草がひとふり。エグリネルは嬉々としてナイフを入れ、熱々の黄身を切り分けながら心底楽しそうに微笑んだ。 エグリネルは、かつて名門と名高いエルフの貴族家系に生まれた。しかし父・アルゴートは突然事業に失敗し、家系は破産の運命をたどることに。財産のほとんどは抵当に取られ、エグリネル自身も借金のかたに売られてしまった。 それからしばらくして、彼女はとある妖しげな館の地下牢へと押し込められ、むりやり奉仕を強要される日々を送ることになる。もっとも、性格が天真爛漫なエグリネルは思わぬ環境であっても、どこか明るさを失わない。看守も主人も彼女のわがままさに呆れながら、しかしどこか憎めず、結果としていろいろ要求を聞いてしまうのだった。 ある朝、閉ざされた地下から階段を上り、細長い廊下を通って食堂へ向かうと、主人がにやりと笑いながら声をかけてきた。 「おい、エグリネル。今日の朝食はおまえの好物の目玉焼きだぜ」 「ほんとに!? やったー!」 いつもの反応を見届けた召使いたちが唖然としているのをよそに、エグリネルは早くも「どんな焼き方かな」と胸を弾ませている。 その様子を見ていた主人がぽつりとつぶやいた。「おまえ、地下牢に閉じ込められてるって自覚あるか?」 「え? ああ! もちろんわかってるよ。でも目玉焼き食べられるなら問題なし! あ、そんなに深く考えてないだけかも」 呆れ顔の主人に召使いが耳打ちする。「冗談、顔だけにしろよ」 「まったくだ。こいつどこまで天然なんだか」 丸テーブルに運ばれてきた目玉焼きは、黄身がほどよくとろりとしていて、白身はぷっくり厚みがある。エグリネルは上機嫌でナイフとフォークを手に取り、目玉焼きに祈りを捧げるかのように目を閉じた。 「目玉焼きは戦いだよ。恋と一緒だな」 「はあ?」と主人が思わず目を丸くする。 「だって、焼き加減やタイミングが大事なの。勢いよく攻めずとも、慎重に火加減を見るのがコツなんだよ。まるで好きな人の気持ちを探るようにね。あ、早く食べないと冷めちゃうから話は後で!」 そう言ってエグリネルはフォークで黄身をぷちりとつつき、じゅわりとあふれる黄金色を歓喜の表情で堪能した。主人はあきれ半分、興味半分の表情だったが、そのまま黙って見守るしかなかった。 その日、エグリネルは雑巾がけや薪割りなどの奉仕に駆り出された。名門の生まれとは思えない力仕事に精を出す彼女の姿は、ある種のギャップもあって周囲を微妙に和ませる。 「エグリネル、床拭きはもっと丁寧にな」 「うーん、床が広くて大変。でもご褒美に目玉焼き追加で作ってくれたらがんばれるかも!」 「また目玉焼きか。おまえ、ほんとにそれでいいのか?」 「いいの、いいの。私の幸せは目玉焼きとともにあるんだよ」 「ああ、こいつは救えねえな…」主人はため息交じりにつぶやき、召使いから小声のツッコミをもらう。 「冗談、顔だけにしろよ」 「そうだよな」 やがて日が傾き、暗い地下牢に戻されるエグリネル。しかし道中も彼女の口と心は軽やかだった。 「ねえねえ、明日の朝は何してくれるかな? やっぱり目玉焼き? それとも目玉焼き?」 「…どっちも同じだろうが」主人は半眼になりながら、思わず笑みをこぼす。やはりこのエルフはどうにも可笑しい。このまま地下牢から解放しないと決めているはずの主人ですら、なぜか憎めないのだ。 そうして、飽きることなく週が過ぎ、月が過ぎ、エグリネルと目玉焼きの日々は続いていく。もともとは高貴な生まれのはずの彼女が、地下牢での生活を楽しそうに過ごしていること自体、周囲からすれば不思議でたまらない。だがエグリネルの言動は周囲の人間に、ささやかな笑いを与え、つられて日常を少しだけ明るくしていくのだった。 昼下がりの空は、澄みきった青に白雲が糸のように流れ、光の粒が微かに揺らめいております。地下牢の小窓からこぼれた一条の光が、石壁を伝うように優しく差し込み、あたかも波間を漂う小船を照らす灯火のようにも感じられます。静かな空気の中で、朗らかな笑い声がかすかに聞こえ、この閉ざされた空間にほんの少し活気を与えている姿が見え隠れいたします。エグリネルが描き続ける小さな幸せ―それは、目玉焼きの白と黄身が紡ぐ奇妙にして温かな物語なのでございます。今日も彼女は、微笑みに包まれながら、未来へとつながる一筋の希望をしっかりと胸に抱いているようでございます。