城炎のエルフ戦士キャステルラ
エルフの女戦士キャステルラは、森の小道を鼻歌まじりで歩いていた。淡い光をまとった金の髪と、優美な耳を揺らしながら、背中に背負った弓矢の弦をいじっている。その表情はなんとも楽しげで、いまから火遊びをしに行くとはとても思えない。 「おい、キャステルラ。やめとけよ。お前の愛人の城なんだろ?」 横にいるドワーフの相棒、トゥラグは腕を組んで渋い顔をしていた。彼は以前からキャステルラに付き合わされているが、その仲の悪さも筋金入りらしい。宿屋で同じ部屋になったときは、カギをかけ合うほどに険悪だ。 「んー? 別にいいじゃない。あの人、一向に本妻と別れないんだもの。もうこうなったら本妻ごと燃やしちゃいたいのよ。ほんとにあの人ったら」 キャステルラは無邪気な笑みを浮かべて、いかにも悪だくみ中という顔つきだ。 一方のトゥラグは、どこから呆れたらいいのかわからない様子でため息をつく。 「……お前、何がしたいんだよ。彼と別れる気はあるのか?」 「さあね。向こうが本妻と別れないって言うなら、私も気にせず動いちゃうというだけ。単純でしょ?」 「単純かもしれんが、火を放つのはやりすぎだろ!」 二人が森を抜けると、目の前にそこそこ立派な城が現れる。レンガ造りの壁は月明かりを受けて鈍く輝き、窓には暖かそうな明かりがついている。城下の兵士たちは警備が手薄らしく、門番も居眠りをしているようだ。 「これが私の大事な――もとい、“大事だった”愛人の城よ。面倒だから早く燃やそうっと」 キャステルラはさらりと言ってのけるが、トゥラグは胃が痛くなる思いである。 「お前、せめてやるならバレないようにうまくやれよ。あとの始末とか……」 「細かいこと気にしすぎ。火矢はあっけないものだよ。恋と一緒だな」 ドヤ顔のキャステルラを見て、トゥラグは思わずこめかみを押さえる。 夜風で揺れる木々の音を背に、キャステルラは火矢を一本手に取った。矢尻に火を灯し、弓の弦をぐっと引き絞る。一瞬、兵士の視線を感じたが、時すでに遅し。 「いっけー!」 パシュッという軽快な音とともに、火矢は宙を鮮やかに舞いながら城壁に突き刺さる。するとあっという間に火の帯が広がり、城壁がじりじりと熱で歪みを帯び始めた。 「何だ何だ!」という兵士の怒号が上がると同時に、中庭にいた騎士たちがどっと走り出してくる。 「おい、見つかったぞ! 逃げるなら今だろ!」 トゥラグの声もどこ吹く風。キャステルラはさらに二、三本の火矢を矢筒から取り出し、次々に矢を放つ。 ピューン、ボッ、ピューン、ボッと、焚き火の種が飛ぶような軽い音が連続して響き、城のあちこちから炎と煙があがっていく。 「ワーッ、火事だ!!」 「だ、誰がこんな……あれはエルフの女か?」 混乱する城内を遠巻きに眺めつつ、キャステルラの目はじっとバルコニーを探していた。すると、案の定、甲高い声を上げながら一人の男が顔を出す。彼こそがキャステルラの愛人――いや、かつての愛人。いや、今もそうかもしれないが、とにかく本妻と別れない頑固な男だ。彼が城を飛び出した瞬間、焦りと恐怖が入り混じった表情が遠目にもはっきりわかる。 「ふふ。あいつ、私がやったって気付いてるかしら? でも仕方ないわよね。別れる気がないなら、こうするしかないもの」 キャステルラはかすかに笑みを浮かべる。その笑みはどこか妖艶で不気味。それでも一瞬、唇が震えたのをトゥラグは見逃さなかった。 「おい……本当は、少し残念なんじゃないか?」 「……さあね。だって、今日で決着でしょ? あっけないものだよ。恋と一緒だな」 いつもと変わらぬ調子ではぐらかすキャステルラ。彼女の瞳には、勢いよく燃え上がる城の赤い焔が映り込んでいる。 トゥラグは頭を抱えつつ、城に向かう人々の悲鳴や怒声を耳に、気の毒そうに顔をしかめる。 間近で見る炎は凄まじく、熱のせいか、くるくると巻き上がる炎の渦が天を焦がしている。城内の誰もが右往左往し、愛人である男もおろおろと門の外へ逃げ出そうとしていた。 「キャステルラ、何か言い残すことはあるのか? あんなに入れ込んでただろう、あの男に」 トゥラグが問いかけると、キャステルラは急に矢筒を置いて、淡々とその背に振り返る。 「別に。思い出が欲しければ、灰にすれば身軽ってだけよ。……」 だが最後に、キャステルラは背後を一瞥する。嫉妬も怒りも込み上げては来ないと自分に言い聞かせながら、彼女はわずかに目を細める。愛人の城は、いま最も盛んに燃え盛っている。 (もう……関係ないわ) 心の中でそう呟くと、キャステルラは妙に澄んだ顔をして森の闇へと身を溶かしていった。 深い夜の帳が降りる中、森の風に揺らめきながら、赤い炎の残光が遠くに漂っております。かつて華やかに灯りをともしていた城の姿は、いまや熱と灰の混じる闇のうねりに包まれ、空へ細く長い煙を引きずるだけ。まるで遥か天空を旅する彗星の尾が大地に舞い降りたかのように、闇と炎のグラデーションが幻想的に重なります。やがて静まる黒の深淵に、エルフの少女の面影は影すら残さず消え去り、星々だけが旅人の行く先を照らし続けるのでございます。