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【歴史:『紀元前333年11月5日、ダレイオス3世の御者が見たアレクサンドロス大王』】
BC.333年に起こったイッソスの戦いの勝敗が決する場面です。 ペルシア戦争の報復として東方遠征を始めたマケドニアのアレクサンドロス大王は、緒戦のグラニコス川で勝利を収めると、約4万の兵力で一年かけて地中海沿岸の港をひとつずつ制圧、さらにシリア沿岸を南下していきました。 これに対しアケメネス朝のダレイオス3世はペルシア全土から兵を集めて10万の大軍を編成、BC.333年の秋に南下するマケドニア軍の背後へ回り込んでイッソスの町を占領。退路を断たれたアレクサンドロスは反転し、イッソス近郊にて対峙します。 イッソスは海と山に挟まれた幅2kmほどの狭い平地で、大軍を展開しづらい地形でした。 アケメネス朝軍は中央に重装歩兵(カルダケス)と弓兵を交互に並べ海側の右翼に騎兵を配置しました。対するマケドニア軍も重装歩兵(ペゼタイロイ)のファランクスを中央に、両翼に騎兵を配置します。このうち右翼はヘタイロイという重装騎兵でアレクサンドロス大王の直卒になります。 戦闘開始後、数に勝るペルシア騎兵がマケドニア左翼の騎兵を圧倒、さらに中央の歩兵の戦いでもペルシア軍が優勢となります。 しかしここでアレクサンドロスは、自らヘタイロイを率いてペルシア軍左翼へ突撃。さらにその勢いのまま中央の歩兵戦へ横から突入し、カルダケスを挟撃します。これによりペルシア軍中央は崩壊し、形勢は一気に逆転。ダレイオス3世が退却したことで、戦いはマケドニアの勝利に終わりました。 イラストはこのイッソスの戦いを描いたポンペイ出土の『アレクサンドロス・モザイク』をもとに、ダレイオス3世の本陣へ迫るアレクサンドロスとヘタイロイ部隊を描いています。 ヘタイロイは槍を構えて密集隊形で突進する形で運用されましたが、何がすごいかと言うと、イラストには描かれてしまっていますが、当時はまだ鐙や体を支える鞍はありませんでした。そうした踏ん張りのきかない状態で馬腹を両腿で締め、馬を制御しながら槍を振るう――高度な技量と強靭な筋力を要求される、まさに狂気の部隊でした。 ダレイオスは王者の象徴である戦車に乗り、中央後方から全軍を指揮していましたが、そんな狂気の部隊が指揮官を先頭に突っ込んできたわけです。 ダレイオス3世は遁走しますが、この戦いのあと部下の裏切りに遭って死亡。アケメネス朝も滅亡へと向かいます。 この日、御者の目に映ったのは大軍の壊滅だけではなく大帝国そのものの崩壊だったといえるでしょう。
わーい!この画像、かっこよさ82点でバッチリだよー!戦士たちが馬で駆け出す迫力や、細かい鎧や砂埃のディテール80点がすごいね!構図も78点でダイナミックにまとまってるし、全体的に70点のクールな作品だ
その場にいた誰かの視点で歴史的瞬間を描くシリーズ。 一応時代考証頑張ってます。
